東松島市へ、親和会による義援金をお届けいたしました。

9月16日(金)に、大田区が災害時の相互応援協定を結んでいます、東松島市 へ、馬渕会長、野々副会長とともに参り、親和会において集まりました義援金を、市の、復旧・復興に役立てていただくべく、東松島市の阿部市長に、お渡ししてまいりました。
(本義援金は、5月の定期総会で承認された、親和会会費より拠出したものと、その後募りました義援金の双方を合わせたものです。)

東松島市は、宮城県中部、仙台湾沿岸に位置する市で、今回の震災で甚大な被害を報道された石巻市と、日本三景の一つである松島町の間に位置する市であり、人口約4万3千人を有する市であります。
(矢本町と鳴瀬町の合併によって2005年(平成17年)に誕生しました。)
今回の震災では、死者・行方不明者合わせて、1000名強という、大きな被害を受けられました。

この地域は、平成15年M7.1の三陸南地震、平成17年M7.2の宮城県沖地震等、大きな地震が頻発していた地域であり、かつ大規模な地震の発生も予測されていた地域であったことから、市をあげて、安心安全な街づくりや、防災に取り組んでいた、どちらかといえば、防災に関しては、日本の模範都市といえるような、地域でありました。

自主防災組織を組織化し、避難訓練を欠かさず実施し、高齢者の安否確認、防災倉庫への備蓄の徹底、防災時に必要な発電機等の備品等の備え、等などをはじめ、大学教授等の識者の予測する、津波到達規模に沿って、堤防を張り巡らす。。。等、考えられることは、ほとんど実施されていたそうです。

「しかし、その全てを無にするような、まさに想定外の震災であった。」と、市長はおっしゃっていらっしゃいました。

  • 防災倉庫に、備蓄はあったけれど、その倉庫そのものが流されてしまった。
  • 地域組織のリーダーが、亡くなったり行方不明等で、居なくなってしまった。
  • 消防団も動けるように組織されていたが、消防団そのものが流されてしまった。
  • それぞれのお宅で避難リュック等は、常備されていたはずなのに、皆さん命からがら逃げてこられて、ほとんどの方は着の身着のままだった。

備えの高い地域であったのにかかわらず、市の人口の半数近い、約2万人のが、公共施設に避難され、震災後3日間は、みなさんほとんど食べ物を口にすることができなかったそうです。
(当日:食料配給なし。2~3日目バナナ1本、4日目にして、ようやく自衛隊の食料配給があったそうです。)

その後も、毎日運び込まれる100体以上のご遺体。
葬儀屋も流され、安置する場所をどう確保するのか。
職員の精神的・体力的限界を気遣われながらも、できうる限りご遺体に失礼なことがないようにと、苦心されたそうです。
それでも、どうにも対処しようのないほどの、多くの犠牲者の数に、対応された方々はどれだけ、心を痛められたか。。。想像に余りあります。

そのほかにも、157年分の瓦礫の処理、を誰が、どう、どこに処理するのか。
税収が途絶えた今、どう財源を確保するのか・・・等々、いろいろな課題があったそうですが、ご自身の任期中に、震災に見舞われ、一度こういった災害時の対応をご経験されていた、阿部市長は、災害復旧時における、市民や市の中小企業との連携プレーの必要性を、震災以前より訴え続けていらっしゃり、実際に、今回復興にあたり、市の建設業者さん達が、瓦礫の撤去やインフラ整備等に、いち早く、自ら立ち上がって協力してくれたそうです。また、政府との交渉にも迅速に対応され、そのおかげで、国からののフォローもかなり早急に行われたとのことでした。

現在、大きな、悲しみ、不幸を乗り越え、東松島市は、あらたな防災都市を再構築すべく、動き出しています。


(東松島市復興まちづくり構想案)

私達も、被災地の復興に、各方面から応援・支援するのみならず、今回、これほどの大きな災害を体験されたことによる、貴重な経験値をどう学び、今後にどう活かしていかなければならないのか。
真剣に考えなければいけない時期にあると思われます。

親和会では、11月に、防災訓練、ならびに、防災に対する検討会を予定していますが、自分達の地域を、自分達自らの手で、防災し、万が一の時には、迅速かつ円滑に協力し合えるように、必要事項を検討し、準備していけるよう、ぜひ多くの町内会会員の方がたのご参加をいただき、ご意見を伺いたいと願っております。

最後に、阿部市長はおっしゃっていらっしゃいました。
「この震災は、大きな不幸ではあったが、それでも、日本人の忍耐力と、暖かさ、団結力の強さに驚かされ、感動させられた出来事であった。
毎日とぎれず300人~1000人のボランティアの方が、来てくれて、泥をかき出し、瓦礫を片付け、被災された人を慰めてくれた。」
私たちの、日本人としての、このような芯のある強さを、まだ時間があるこの今、地域防災に、活かしていくことができますことを、心から願います。

最後に、大変お忙しいところ、貴重なお時間を割いていただき、お話をしてくださいました、東松島市の阿部市長他、市職員の皆様、本当にありがとうございました。

震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、市の、これからの大いなる復興を、心よりお祈りいたします。

田園調布親和会広報担当

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